先日、私の住む福岡県で21歳の女性が15歳の少年に刺殺される事件が起きた。
女性は商業施設に買い物に行っただけで、少年との面識はないとされている。
一方少年は、事件の数日前に少年院を出た後、更生施設から無断でいなくなりその後事件に及んだとされる。
母親と2人暮らしだったという女性のご遺族の気持ちを考えると胸が締め付けられる。
私も、息子と2人暮らしだ。
息子が急にいなくなったら、私はきっと生きていられない。
しかしこのような事件を聞くと、いつも思うことがある。
それは
この少年を加害者にしないためにできることはなかったのだろうか?
ということだ。
少年が常軌を逸した行動で、被害者を殺害したことは絶対に許されない。
しかし、わずか15歳という年齢でこういった犯罪を起こした背景に
大人の責任は一切なかったのだろうか?
私はそれがいつも気になる。
自分の息子だって、加害者になる可能性は0ではないのだ。
■人の非難をするのは簡単だ。だがそれを自分自身に当てはめて日常に活かさなければ、世界は何も変わらない
少年は幼いころから児童福祉施設で育ってきたという情報がある。
これを聞くと大半の親は「家庭環境に恵まれなかったんだ、かわいそうに」というかもしれない。
そして「自分には関係のないこと」として話が終わってしまう。
しかし本当にそうだろうか?
ごくごく一般的に見える家庭の中でも、子どもの心が殺されていることは多々ある。
子どもを「加害者」にしないために、私たち親にできることは何なのか?を考えることには大きな意味があると思う。
■私たちは本当に「子どもの気持ち」を理解できているだろうか?
子どもが話しかけてきたとき、「ちょっと待って」と言って放置していないか?
そのくせ、「今日は学校どうだった?」と自分本位の会話だけをしていないか?
子どもに完璧を望んでいないか?
子どもにちゃんと大好きと伝えているか?
会話のほとんどが「ちゃんとしなさい」「早くしなさい」になっていないか?
私たち大人も、毎日本当に忙しい。
仕事もある、家事もある。
しかし親であるということは、唯一無二の自分にしかできない仕事だ。
他の誰でもなく、子どもは自分の親からの「承認」を求めている。
そのことを自覚し、今日を過ごそう。
子どもを加害者にしないことは簡単なことではない。
逆に、こちらがいくら努力をしても加害者になることは多々ある。
しかし、今日自分にできることを、できる範囲で行うことは
決して無駄ではないと信じて、今日を過ごすのだ。