こんにちは、ヤマシタです。

私は妊娠や出産、子育てで本当に色んなことを学ばせてもらったと思っています。

妊娠は私にとって、人生観を変える大きな転機になりました。

妊娠・出産をしたことで私はそれまでとは違う人生観を得ました。

もちろんそういう自分の人生観が

万人に当てはまるものではないことは知っていますが、

それをシェアすることになにか意味があるような気もするので、

ちょっとずつ書いていきたいな、と思っています。

 

妊娠中期頃のある日、ふと考えました。

 

■「あれ?待って。私、母親だけど何もしてなくない?」

 

もちろん、お腹の中で子供は育っています。

毎日、塩分に気をつけたり

カフェインを摂らないようにしたり、

バランスよく食べるようにしたり、

体に悪い事はしないようにしたりはしています。

 

きっと、私の血液から子供は栄養をもらって

育っているんだろうけど

だからといって、

私が

「はい、今日は脳作るよ~」とか

「じゃあ今日は腕の部分いきま~す」とか

できるわけではない・・・

 

どんな設計図で、どんな風な子ができているのか

(あえてこういう書き方にしましたが↑)

私には何もわからない。

 

逆に言うと、

そういう部分に関して

私にできることなど1つもない

ということに気づきました。

 

母親なのに。
お腹の中にいるのに。

 

私にできることは1つもないのです。

あえていうなら、

悪影響を及ぼさない(邪魔をしない)ということくらいなのです。

できること。

 

じゃあ誰がそういうのやってんだろ・・・

と考えてみると、

遺伝子という設計図があって

私の意思とは無関係に

その遺伝子情報に忠実に、

誰が指示するわけでも、

チェックするわけでもなく、

人間を創るという工程が着々と進んでいるわけです。

 

だからこそ、

私が寝ていても、

テレビを見ていても、

友達と喋っていても

赤ちゃんは確実に育つことができるわけです。

 

それに気づいた時、

「何か、怖っ!!」

って思いました。

 

■赤ちゃんは勝手に育っている。

 

私がやっていることは

それが順調に進むように環境を与え、整え、守ること。

 

それしかやってないし、できてない。

遺伝子がやってることってどんだけの仕事量なんだろ・・・

しかもそれが何も考えずとも行われるように

自動化されている・・・

 

この現実を考えたときに

「あぁ、私はただこの子が生まれ、

生きていく手伝い(サポート)をする存在に過ぎない」

という覚悟みたいなものが生まれました。

 

子供を持つ、ということは

自分が新たな生命を所有する、という意味ではなく

新たな生命のサポーターになる、という意味なんだな、と。

 

それが私が妊娠中に得た、1つの大きな考え方の変化です。

前回の記事で書いたようなことは、

このような考えから派生しているのかな、とも思います。

参照:『子育てで一番大事なこと』について思う事

 

長くなったので、今日はこのへんで!

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