昨日の記事:成功する人と成功しない人の違いをずっと考えている話。

からの流れで、今日は

「思い通りの人生」について

思っていることを書きたいと思います。

 

「思い通りの人生」ってどういうことだと

皆さんは思いますか?

 

●自分が望んだことしか起こらない

●自分にとって嫌なことは1つもない

●思った通りの結果がいつでも手に入る

 

そういうのが、

思い通りの人生ですか。

 

 

これは、

私がいつも思っていることなんですが、

私たちは宇宙の一部であり、

自然の一部であり、

ただのちっぽけな1人の人間です。

 

地球のどこかで

蟻や魚が生まれ、死んでいく。

それらと何ら変わらず、

全く同じように

私たちが生まれ、

生きているわけで。

 

私たちの目の前で起こることには

良いも悪いもなく、

ただただ目の前で、

起こるべくして起こることが

起きているだけ。

 

それには理由があるものもあれば

ないものもある。

 

偶然のこともあれば、

必然のこともある。

 

とにかく、

どんな理由かは分らないけど

目の前で起きていることが

ただただ事実です。

 

しかし私たちはそれに様々な意味づけをする。

 

人間だけが事象に意味づけをするわけです。

 

時には、

自分で意味をつけないで

人から言われたとおりに

意味づけをしたりもする。

 

そうして、

事実は

色んな脚色をされて

私たちに捉えられる。

 

目の前で何が起こるかなんて

私たちちっぽけな人間に

選べるわけがないのです。

 

できるのは

「それにどういう意味をつけるか?」

という事だけではないですか?

 

「どういう意味付けをして」

「どう行動するか」

 

私たちが自由にできるのはそこだけです。

 

誰かに何かを言われて、

その人の意味づけを採用するのもいいでしょうし、

自分で「運が悪い」と決めてもいいでしょうし、

「もう無理だ」と意味づけてもいいでしょう。

 

「お。そう来たか・・ならば!」と

捉えてもいいでしょうし、

「想定内です!」と捉えてもいい。

 

私たちの自由はそこにしかないと思うんです。

 

私たちには天災を止める力もないし、

天気を左右する超能力もないし、

明日起こることを全部予測なんてできないし、

嫌な人を目の前から消すことも

現実としてはできないと思います。

 

できるのは「意味づけ」を自由に行う事

そしてそれを基に、

どう「行動するか」を選ぶこと

それだけですよね。

 

人から何を言われても、

そう捉えなければいいだけ。

せっかく自分で意味づける自由があるのに

わざわざ嫌な人の意味づけを採用する必要なんてないですよね。

 

逆に言うなら、

自分の意味づけで納得できなければ

人の意味づけを参考にしてみたらいい。

どちらか自分が「思った通りの」意味を

自分で付与すればいいだけの話。

 

神がいてもいなくてもいいし、

ホロスコープのバイオリズムが

当てはまっても当てはまらなくてもいいし、

引き寄せてもいいし

引き寄せてなくてもいいし、

全部自分のせいと捉えても

たまたまだったと捉えても

全部どっちでもいいのです。

 

もし「思い通りの人生じゃない」と思うのなら

「意味づけのクセ」で苦しんでるだけ。

 

そう考えると「思い通りの人生は」

意外と手に入りやすいのかもしれません。

 

2 thoughts on “思い通りの人生って何なんですかね?という話。”

  1. リオさん

    私は、思い通りにならないことの方が多いんではないか?
    と、考えるようになってるよ!

    そのことに今、気がついたよ!

    ぐるぐると自分で考えて、それでそうなってるんだから、それはそれで思い通りなのかもしれないですけども、、、

    成功する、しないっていうのは
    何をもって成功するってことなのか、
    自分で決めることでも、他人に決めてもらうようなことでもない気がします。

    成功したぜ、っていうのも
    成功してるよねっていわれるのも
    なんかちがう

    成長したいんよー。わたしは。

    話は変わりますが

    昔、考えていたことを思い出しました。

    小学生の時に、いっちょまえに、嬉しいことと、悲しいことと
    何がちがうのかとか、考えてたんですわ。

    嬉しい出来事、悲しい出来事、その二つは出来事というところでは同じやないか、と思ったんです。

    そして、嬉しいのも、悲しいのも、全く同じおもさで受け止められるようになりたいな、とおもってました。

    嬉しい、悲しい、というのは自分が、そう思ってる、だけで、良いとか悪いとかない。
    その出来事に対して、自分が悲しいとか嬉しいとか思ってるんやから。

    同じく等しいおもさで受けとめる。
    そしたら、なんかあんまりフラフラせんですむんやろうな、と思いながら
    いまだにフラフラしていて、みんなに心配かけてます、、、

    嬉しいのと、悲しいのと、同じ出来事。
    それは満開の桜を見たときに感じる気持ちに例えられるかもしれません。

    すっごいきれい、ずっと見てたい、けど、いつか散ってしまうんやなって。

    嬉しいとさみしいと、一緒になってるやん、話違うやん!てなっちゃうけど

    いつかは散るけど今はそれを味わうのだ。
    ビールも飲むのだ。
    バカボンのパパみたいになっちゃったのだ。

    いつもありがとうございます。

    1. そうですね、嬉しいことと悲しいこと。
      どちらも同じ、自分の感情ですよね。そう考えると奥が深い・・・
      「良い」「悪い」「嬉しい」「悲しい」
      同じ出来事でも、違う風に受け取ることがいくらでもできる。
      それってすごいことですよね。

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